black diary

学部生ですご容赦ください。いろいろご指摘いただけると嬉しいです。

『八月の光』における肛門性交のテーマについて

扱いきれてないです。難しい。また読みたい。

 

  1. 序論

 『八月の光』では、黒人の男が白人の女とセックスをするという罪の他にもう1つ、それと重ねられる形で肛門性交の罪が繰り返し語られている。主にそれは黒人の男と白人の女の間の子供であるクリスマス自身の、もしくは彼を取り巻く欲望である。本論では一旦ハイタワーをめぐる噂における肛門性交の話題について触れたのちに、クリスマスについて掘り下げていく。

 

  1. 本論

2-1. ハイタワーをめぐる噂

 ハイタワーをめぐる肛門性愛のモチーフは、現実に起こったこととしてではなく、噂として無責任な三人称の語りの中で記述される。周囲の白人たちの持つ肛門レイプ妄想がここには観察できる。

 町を出ていくことを期待されたハイタワーがそれでもなお町を出ず、そのうちにある日彼が雇っていた黒人の料理女が辞めたことについて、「噂ではまた、その翌日、女は自分からやめたと話していたとのことで、それというのも雇い主が自分に「神と自然に反すること」をするように求めたからということだった」(上 104) とあるが、後注の通りこの「神と自然に反すること」とはもちろん肛門性交のことである。その後彼は黒人の男を料理人として雇うのだが、「これがまさしく完全に、彼にとどめをさすこととなった」(上 105)。ある晩に黒人の男は連れ出して鞭打たれ、その二日後に今度はハイタワーが、木に縛り付けられ殴られて意識を失っているところを発見されることとなる。KKKを名乗る白人たちはハイタワーが黒人の男と肛門性交をしたと妄想を膨らませてしまっているのである。彼らが「禁止」と「罰」を与えようとするとき、彼らは意図しないうちに自らの無意識の欲望のありかを暴露してしまっている。

 

2-2. クリスマス

 過去形で語られる男、クリスマスは過去の記憶にとらわれ続けている。彼はセックスについて問題を持ち続けるが、第6章で語られる彼の「記憶は信じてしまっている」(上 173) 中には、5歳の時の事件が性的なトラウマとしてすでに登録されている。

 5歳の彼は栄養士の女の部屋に忍び込み、ピンク色の練り歯磨きをこっそりと食べることを1年近く習慣としている。「部屋に入ると、彼は音を立てぬ素足でまっすぐ洗面台へと向かい、チューブを見つけた。そして滑らかでピンク色の芋虫が、羊皮紙色をした自分の指にゆっくりと絡みついていくのを見つめていた」(上 174) とあるが、この箇所を分析していこうと思う。

 まず、ピンクという色は「薄いピンクの肌をした女」(上 175) という栄養士についての説明からわかる通り、女の肌の色として説明されている。また、これは粘膜の色でもあるだろう。女の粘膜といえば膣の粘膜と理解されるかもしれないが、ここでは違う。なぜならば、チューブからひねり出される甘い練り歯磨き粉が糞便のメタファーであるからである。つまり、ピンク色は女の肛門の粘膜の色である。練り歯磨き粉が糞便のメタファーであるという証拠として、その栄養士がクリスマスにとって「食べること、食べ物、食堂、木のベンチでおこなわれる食事という儀式に、機械的に付属しているものでしかなかった」(上 175) という記述をあげることができる。食事という儀式に機械的に付属しているものとは、すなわち排便である。「若く、少し太っていて、なめらかな、薄いピンクの肌をした女は、頭には食堂を思い起こさせ、口には甘くてねっとりしたもの、やはりピンク色をした、こっそり食べるものを想起させた」(上 175) とはつまり「栄養士の女は食事を思い起こさせ、口にはその食事の結果として出てくる糞便、こっそり食べる糞便を想起させた」ということである。口に含むということで、口唇期的な欲望もまた読み取ることができる。彼は栄養士の女とその連れのセックスを目撃すると同時に、自らの多形倒錯的な性愛を栄養士の女により見咎められ、性的なトラウマを植え付けられることとなる。

 クリスマスの肛門性愛は最初女の肛門への愛として発見されていたが、8歳の彼を襲うこととなるのは男による肛門レイプである。第7章冒頭には「そして記憶はこのことを知っている。二十年経っても記憶はまだ信じている―――この日におれは男になった」(上 213) とあるが、まさしくこの日に彼はマッケカーンにより肛門をレイプされている。長老派教会の教義問答書を暗記しないクリスマスに対し、マッケカーンは罰を与えようと彼を馬小屋へと連れ出す。「マッケカーンは壁から馬具の革紐をとった。彼の靴と同じく、新しくも古くもなかった。靴と同様にきれいにしてあり、その男の匂いと似た匂いがした―――清潔で固く男性的な、生きているような革の匂い。彼は少年を見おろした。」(上 216) ここで、「清潔で固く男性的な、生きているような革の匂いのする」靴と馬具の革紐は、もちろんどちらとも男根のメタファーである。そして、「汚すといかん」(上 218) と少年クリスマスのズボンを下ろすよう命じ、尻に革紐を振りおろすというのはレイプのメタファーである。クリスマスのズボンを汚す恐れがあるものは革紐それ自体ではなく糞便であろう。この時の彼らの様子は、「どちらの顔の方が恍惚として、おだやかで、確信に満ちていたかは、誰にも言いがたかっただろう」(上 218) と説明される。この日のうちにクリスマスはもう一度レイプされ、気を失う。もっとも、第9章でマッケカーンは「彼自身は色欲の罪を犯したためしがなく、そうした話をする人間に耳を傾けたことも一度たりともなかった」(上 294) と説明されており、奇妙なねじれが生じている。実際に起こったレイプであり、かつレイプ妄想に留まるものであり、もしくはただの鞭打ちであるような、ambiguousな記憶の中の、しかしそう信じられるようなクリスマスの記憶の中の出来ごとである。

 彼は成人してなおずっと肛門に関するトラウマにとらわれ続けていたようである。彼の七日間の逃亡のうちにその様子が見て取れる。

 

そしてある日、もはや空腹を感じなくなった。突然、静かに、そんな風になった。爽やかで落ちついた気分だった。それでも、何か食べねばならぬとはわかっていた。無理をして腐った果物を、固いトウモロコシを食べた―――ゆっくりと噛んだが、何の味もしなかった。そういったものを大量に食べ、何度も血便を出す結果になった。それでも、その後すぐ、食べねばならぬという気持ちに、切迫感に、新たにとりつかれるのだった。いまや頭から離れないのは食べ物ではなく、食べねばならぬという気持ちだった。(下 124)

 

 その夜、奇妙な考えが頭に浮かんだ。彼は眠ろうとして横になっていたが、眠ってはおらず眠る必要もなさそうで、それはちょうど、食べ物を欲してもいなければ必要ともしていない胃袋に、食べ物を収めておくように命じてきたのと同じだった。それが奇妙だというのは、その原因も契機も説明も、彼には見つけられなかったためだ。(下 125-126)

 

上の2つの引用部分と類似の表現が、第6章の「彼は自分の上に折り重ねられているようで、自分が汗をかいているのを眺めながら、自分がまたしても芋虫上の練り歯磨きを、胃は欲していないにもかかわらず、口の中に押し込んでいくのを見つめていた」(上 177) という部分にも現れている。胃袋は欲してもいない食べ物を、切迫感の中で、逃亡するクリスマスは今度は実際に血便を垂れ流しながら口にすることとなる。

 彼は最終的に、グリムにより肉切包丁で去勢されるまでトラウマに縛られ続ける。

 

しばらくの間、彼は男たちのそれから彼の顔が、体が、すべてが、崩れ落ちるように、それ自体の中にのめりこむように見え、そして尻や腰のあたりの切り裂かれた服の中から、閉じこめられていた黒い血が、吐き出される息のごとく、ものすごい勢いで流れ出すように見えた、それは、上昇していく狼煙から出る火花のように、その青白い体から噴出するように見え、その黒い噴流に乗って、男は彼らの記憶の中へと永遠に上昇し続けるように思えた。(下 321)

 

尻や腰のあたり、つまり下半身から吹き出す黒い血は、精液かそれとも糞便か。おそらく両方であるだろう。ペニスがあったはずの傷口から流れ出る精液。また、上の引用部分の直前にある「口もとには何か影のようなもの浮かべながら、ただそこに横たわっていた」(下 321)という表現は興味深い。この口もとにある「何か影のようなもの」は「吐き出される息」として勢いを持って流れ出したということであるから、黒い血とはやはり、口/肛門から噴出する糞便でもあるだろう。この場面において、クリスマスに流れる黒人の血、つまり異人種間の性交と、肛門性交という2つの性の欲望に関する「罪」が合流することとなる。そして、その光景を目撃する白人の男たちもまた、彼ら自身の記憶の中に、過去の災いの中にも未来の希望の中にも「それはいつでもそこにある」こととなるのだということまで語られて、第19章は幕を閉じる。

 

  1. 結論

 『八月の光』では、肛門性交という「罪」が異人種間の性交という「罪」と重ねられる形で描かれている。さらに、白人の男たちもまたその「罪」を共有しているのだということも示唆されている。

 

  1. 参考文献

フォークナー (2016) 『八月の光』(上)(下) , 諏訪部浩一翻訳 , 岩波書店