black diary

にゃーん

映画『キングコング:髑髏島の巨神』を読む

  1. 序論

 本論2.1、2.2、2.3では映画『キングコング:髑髏島の巨神』(Kong: Skull Island, 2017年)に現れる様々な二項対立、またはそれらを媒介するものたちについて分析する。2.4ではマーロウ・マーロウの妻・軍兵という三角関係の考察を通し、本映画に対してクィア・リーディングを試みる。

 

  1. 本論

2.1 見る/見られる

 視線というテーマはこの映画において重要である。本編はマーロウの目玉にカメラが飛び込んで始まり、コングの目玉にカメラが飛び込んで終わる。また、度々銃のスコープから覗く画とカメラのファインダーから覗く画が重ねられる。パッカード大佐は既に倒した蜘蛛の目を撃ち、コングとは文字どおり睨み合う。ウィーヴァーはスカルクローラーの目を照明弾で撃ち抜く。1)

 しかしこの映画の主人公、コンラッドは見る/見られるという主導権争いに対してパッシヴである。コングとウィーヴァーが見つめ合う時、コングを見ている彼の視線は宙に浮く。また、彼はグレイフォックス号が出港する際、他の登場人物らが進行方向を見つめる中一人だけそっぽを向いている。エンドロールの後の場面ではマジックミラーの見当違いな方向を覗き込んでいる。

 

2.2 現在/過去

 現在と過去という二つの系列が存在するようである。現在の系列には調査隊、ランドサットなどのテクノロジー、流行の音楽、アメリカなどが連なる。過去の系列にはコングを始めとする”ancient species”、原住民などが連なる。ランダは島について、”a place where myth and science meet”である説明する。科学を携え現在の系列からやってきた要素が「神話的」な過去の要素と遭遇、衝突する中で物語は展開する。また、過去の系列はより多層的で、第二次世界大戦、終わったばかりのベトナム戦争2)も含まれる。

 

2.2.1 調査隊隊員と過去を媒介するものたち

 現在の系列に属する隊員たちの中には、特定の媒介物を通して過去の記憶に引きずり戻される者たちがいる。パッカード大佐はベトナム戦争で部下を失った埋め合わせを求め続けている。彼を過去に呼び戻す媒介は、木箱に入った勲章と死んだ部下のドッグタグである。コールもまたベトナム戦争の記憶にとらわれている。彼は殺害したベトナム人の農民のライフルを携帯し続ける。コンラッドは、軍人であった父が出征する時に列車から放ったライターを持ち続ける。

 

2.2.2 媒介者:ハンク・マーロウ

 WW2からやってきたサンタクロースことマーロウは、彼の老いた身体そのもの、そして空白の期間に関する知識の獲得により現在と過去を媒介する。また、彼は原住民と調査隊の間を取り持ち媒介者として機能する。

 さらに、彼は既に死んでいる過去の軍兵のイメージを過去からスクリーンに呼び戻す。もはやその場には存在しないのに、映像内映像の枠を取り払い、画面を乗っ取って鮮明に姿が映し出されるのは、軍兵のみに許された特権である。

 

2.2.3 媒介者:グンペイ・イカリ

 艦橋の部屋の壁に貼られた日本旗の寄せ書き。グレイフォックス号に積まれた零戦の栄エンジン。手書きの「む」の文字。マーロウの飛行服の背部3)日章旗を想起させる赤い円の中に書き込まれた「軍兵」の文字。マーロウの回想によって映像として呼び戻されるその姿。コングが大木から枝を払う時の、日本刀を抜くような仕草。他にも沢山ある。彼自身の姿が映るシーン自体は非常に短いものの、彼の痕跡は映画のいたるところに散らばっている。

 マーロウの回想として挿入される軍兵の顔は少々特異である。軍兵の顔のクロースアップは、現在進行形の時間軸に沿って組み合わされる他のショットからあからさまに分離しているのだ。軍兵の「遺影」が突如挿入される。その姿はマーロウの年老いた姿と対照的に若いままである。回想として挿入される映像は静止に近く写真的であり、冒頭のチェイスシークエンスとは対照的である。チェイスは砂浜→ジャングル→崖の上と舞台を移しつつ動的に展開される。しかし、回想ではその流れを分断する形でジャングルで立ち止まり対峙するマーロウと軍兵が静的に映される。また、軍兵が照準を外す動きをすることも非常に興味深いということを指摘しておこう4)。ここで重なるマーロウのセリフは”If you take away the uniforms…and the war…Then he became my brother.”であるので、軍兵が敵意を失った場面が崖の上で短剣を取り落とした場面から移動されているようにも思える。事実としての過去からもまた、このイメージは遊離している。島の地形としては特殊な地形、白い砂浜と青い空を背景に映し出された軍兵の姿は静止したまま保存され続ける。回想として思い起こされた軍兵は、その静止的な性質のために現在からも過去からも遊離したイメージとなり、それゆえに現在と過去の回路をつなぐ媒介となりうる。

 

2.3 現実/虚構

 

2.3.1 物語内現実/物語内虚構

 軍兵は実はもう一度、今度は物語内現実に実体を持って呼び出される。その依り代となるのはコンラッドだ。コンラッドはここで、物語内虚構と物語内現実を媒介することとなる。

 マーロウはイメージの中でのみ鮮明に軍兵を顕現させる。しかし物語内現実に引っ張り出すことには失敗している。これは窪地の場面で明らかとなる。マーロウが日本刀を振り回す時、日本刀は武器としてあまり効果的に作用していない。では誰が日本刀を握った時に見せ場が来るかというとそれはマーロウではなくコンラッドなのであるが、詳しく見ていこう。

 スリフコが爆炎により跳ね飛ばされ、彼の荷物に含まれていた緑色の毒ガスが噴出てしまう。気を失ったスリフコを救助するためにコンラッドは駆け寄り、”Marlow! The sword!”とマーロウに日本刀を投げてよこさせ、地面からガスマスクを拾い上げて被る。ここから彼の大立ち回りが始まる。彼は緑色のガスを背景に、刀を振るって怪鳥を殺し、ガスマスクを外し、日本刀を地面に刺して手放す。

 この場面において1つ違和感があげられる。コンラッドが映画の中でもっとも主人公らしい立ち回りをする場面の1つにおいて、仮面をかぶってしまうのである。これは一体なぜであるか。コンラッドはガスマスクというペルソナを被り、「軍兵」なる日本刀を身につけることにより、自分の身体を依代として軍兵を呼び戻す。カメラがコンラッドのガスマスクの内側から情景を捉えているカットがあるが、この視界は飛行眼鏡の視界と同期する。前述した通り、全編を通してコンラッドは見る/見られるという駆け引きにおいて非常にパッシヴな要素を与え続けられているのだが、この場面はコンラッドの「見る」という行為が具体的に映し出されるかなり珍しい箇所である。あからさまにコンラッドの視界と同期している映像はおそらくこの箇所のみである。むしろ、この視界はコンラッドの視界というよりは軍兵の視界なのであろう。スカルクローラーが消化できず吐き出した、人骨も含む骨が大量に落ちている場所、軍兵のskullも吐き出されたかもしれない墓場5)において軍兵の幽霊が実体を持って呼び戻される。

 

2.3.2 現実/映画

 コンラッドはもう1つの現実と虚構、つまり観客のいる側である現実と映画という虚構もまた媒介している。映画の本編とエンドロールが終わると、スクリーンが暗転したまま“You just gonna sit there? In the dark. You are enjoying this, right?”というコンラッドの音声が流れ出す。その直後にマジックミラーを覗き込みながら話すコンラッドの姿が映し出されることで初めて状況が明らかにされるのであるが、同時に、上の引用部は明らかにこの映画の観客に向けて発話されたものでもある。”you”とはこの映画を楽しみながら観ているであろう観客、”the dark”とは観客が座る劇場の暗闇を指している。エンドロールが終わり、さてそろそろ立ち上がろうという瞬間に流れる音声であるので、余計に観客の周囲の暗闇は意識される。コンラッドはここで、少々不穏な形で第四の壁を超えようとしている、つまり、現実と映画を媒介している。

 現実と映画が媒介されている場面は他にもある。ヘリコプターが島に爆弾を落としてそこかしこを焼き払う、スペクタクル性が強調されている箇所だ。ここで、サングラスをかけてニヤニヤ笑うアメリカ兵の顔のクロースアップが映し出されるのであるが、その直後に突如として根元から引き抜かれた木がフロントガラスに飛び込んできて彼の乗り込んでいたヘリコプターは墜落機第1号となる。彼のサングラスには爆炎が反射している。彼はスクリーン上で繰り広げられる爆発のスペクタルを気持ちよく眺めている観客のメタファーだ。ヘリコプターに衝突する木はスクリーンの奥から手前側、座席側へと飛び込んでくるように映されている。ここでもまた、現実と映画の出会いは観客にとって居心地の悪い形で描写されている。さらに追記しておくと飛び込んでくる木の描写は3D映画としてより強調される構図であり、飛躍するが、アメリカ兵のサングラスをかけた姿は映画の観客が3Dメガネをかけた姿にも重ねられるかもしれない。

 

2.4 クィア・リーディングの試み

 マーロウを中心に、父権制の構図が現れている。しかしその父権制は、その内部に自己を転覆させうる要素を含んでいる。まずは父権制の構図について詳しく見ていく。

 作中には二枚の女性---二人は二人とも名前を持たない---の写真が出てくる。一枚はマーロウの妻の写真、もう一枚は軍兵と何らかの関係があると思われる日本人女性の写真だ。マーロウ・軍兵・二枚の女の写真は一見下のような「欲望の三角形」を構成しているようである。

 

 

 軍兵の「女」/「女」の写真/マーロウの「妻」

   ↗︎ to have        ↖ ︎to have

    軍兵   ←   視線   →   マーロウ

                     to be

 

 

軍兵とマーロウは「同じ」欲望の対象物を持っている。軍兵とマーロウのどちらが欲望の主体もしくは欲望の媒介者となるかは交換可能である。上図における”to have”の欲望はheterosexualな欲望であり、軍兵とマーロウの間を取り持つ”to be”の欲望、同一化の欲望はhomosocialな欲望であると説明される。

 また、マーロウが実の息子とちょうど同じ年頃のスリフコに”son”と呼びかけ、何としてでもコングを倒そうとするパッカードに反抗するよう説得する場面がある。マーロウの試みは成功し、スリフコはパッカードに銃を向ける。軍という父権制における「父」であるパッカードを倒したスリフコは、”son”としてマーロウと共に新たな「父子関係」を築く。勿論これは完全なものではなくこの瞬間だけ成り立つ関係であるが、この場面はマーロウが帰還後に実の息子を手に入れることをforeshadowしている。帰還後マーロウは妻と息子を再獲得し、再び父親の座に戻り、父権制の物語の環が閉じるかに見える。

 しかし、マーロウにはもう少し複雑な造形がなされているように思われる。マーロウの妻が物語の前面に出てくるとき、必ず、軍兵の痕跡がセットで出てくるというのは興味深い。グレイフォックス号6)の上でマーロウが妻の写真を見ながら”I got a wife. Had a wife. Have a wife? “と語るとき、カットバックで提示されるコンラッドとウィーヴァーのカットでは、二人の手前側にマーロウと向き合う形で、木の板に書かれた「軍兵」の文字の一部が映し出される。マーロウは「軍兵」の文字を視界に入れながら妻の話をしている。また、マーロウが妻の写真を見つめながらWe’ll meet againを歌う時、妻の写真のすぐ側には軍兵のドッグタグが添えられている。そして、妻と再会したのちには日本刀をソファーに置き野球観戦をする。これらの「軍兵」の痕跡はどれも一瞬のみ、一部のみ映し出されるものであり、非常に分かりづらく、半ば隠しているとでも言って良い演出である。heterosexual(wife)もhomosocial(”brother”)も同時に手に入れる・取り戻すことができましたというのならば、隠す必要はないのであるが。

 ここで、軍兵の痕跡が妻という存在と「秘密裏に」立ち位置を巡ってせめぎ合う時、そこには新しい三角形が立ち上がっている。

 

    マーロウ

to have↗︎   ↖︎ to have

  軍兵     妻

 

男と女が一人の男をめぐって対立し、ライバル関係に置かれることになる。軍兵とマーロウの間の”to be”の欲望はいつの間にか”to have”の欲望へとすり変わり、そこにはクィアな目配せが忍び込むのだ。 

 

  1. 結論

 本映画には見る/見られる、現在/過去、現実/虚構といった幾つかの対立軸があり、それを媒介するものたちが興味深い振る舞いをしている。また、解釈の一つとして、それぞれ媒介者の1人であるマーロウと軍兵との間にはクィアな眼差しを読み取ることも可能である。

 

 

1) 論旨と直接には関係ないが、冒頭でマーロウが太陽を背にして落ちてくることに端を発し、マーロウの目玉、ウィーヴァーのネックレスのチャーム、「日の丸」、コングが背にする夕陽と月、イウィ達が初めて出てくる場面の円形の門(これは中国の建築様式で”moon gate”と呼ばれている)、そしてコングの目玉と「丸いもの」がメタファー的に連なって現れている。

 

2) ちなみに、ベトナム戦争を描いた映画『地獄の黙示録』(Apocalypse Now, 1939年)の原作はジョゼフ・コンラッドによる『闇の奥』(Heart Of Darkness, 1902年)であり、語り手はマーロウである。コンラッドとマーロウという、『闇の奥』と『地獄の黙示録』を連想させる名前が用意されている。

 

3) 冒頭の場面ではマーロウのジャケットの当該位置には別の意匠が存在しているのだが、それをわざわざ赤く塗りつぶした上に「軍兵」という文字が書き込んである。また、設定画の段階ではマーロウは旭日旗をスカーフとして首に巻いている。赤い丸の中に書き込まれた「軍兵」の文字というモチーフは、グレイフォックス号に設置された木の板にも登場している。ちなみに、どちらも「軍」という字は横棒が一本足りず間違っている。

 

4) そもそも冒頭においてジャングルに入る前、砂浜を走っている時点で軍兵の銃が弾切れしたことを示す音声が挿入されているので、ここで銃を構えていること自体が、ミスなのか意図的なものなのかはわからないが不自然ではある。それを置いておいても、銃の照準を外すという軍兵の動作自体は演出された「不自然さ」であると考えられる。

 

5) 回想に入る直前で示されている通り、マーロウは軍兵のドッグタグを回収してそれを軍兵の遺品と思われる小箱に紐で括りつけている。チャップマンのドッグタグが回収されたのと同じような方法でマーロウはドッグタグを回収したのだろうか。ちなみに些末な点であるが、旧日本海軍ではドッグタグを用いることはかなり稀であり、また、小判形という形状が旧日本陸軍のそれに酷似していることから、考証にミスがある可能性が高い(零戦に搭乗していた軍兵はもちろん旧日本海軍所属である)。似たようなミスとしては、例えばマーロウの乗っていたP-51のインヴェイジョン・ストライプスが挙げられる。しかし出演者インタビューにおいて、衣装を着用したままのWill Britain(青年時マーロウ役)の側に座るMIYAVI(軍兵役)が小判型のドッグタグを下げていることから、映画の中の設定としては軍兵はドッグタグを付けていたのであろう。

 

6) グレイフォックスはコナミのアクションゲームであるメタルギアシリーズの登場人物の名前として引用されているのだろう。『キングコング:髑髏島の巨神』の監督であるJordan Vogt-Robertsは『メタルギアソリッド』(METAL GEAR SOLID, 1998年)の映画版制作に現在監督として関わっている。『メタルギアソリッド』でグレイフォックスは「サイボーグ忍者」として日本刀(高周波ブレード)を装備して主人公のスネークの前に現れる。詳述は省くが非常にクィアなキャラクターである。